はじめに:融資の常識が、今まさに変わろうとしている
「担保に出せる不動産はありますか」
「経営者の個人保証をお願いします」
これまで、中小企業が金融機関から融資を受ける際には、不動産担保や経営者保証が重要な条件となることが少なくありませんでした。
しかし、優れた技術やノウハウ、安定した顧客基盤、将来性のあるビジネスモデルを持っていても、担保にできる不動産が少ない企業もあります。こうした企業にとって、従来の融資慣行が資金調達の制約になることがありました。
この課題に対応する制度として、2026年5月25日に「事業性融資の推進等に関する法律」が施行され、「企業価値担保権」の利用が始まりました。法律は2024年6月7日に成立しています。
企業価値担保権は、不動産担保や経営者保証に過度に依存せず、事業の将来性に着目した融資を後押しするための新たな選択肢です。
ただし、企業価値担保権を利用すれば、必ず無担保・無保証で融資を受けられるわけではありません。また、融資の可否や条件は、事業計画、財務状況、返済可能性などを踏まえて金融機関が個別に判断します。
本記事では、企業価値担保権の基本的な仕組み、活用が期待される場面、利用に当たっての注意点、企業が準備すべきことを解説します。
企業価値担保権とは何か?
企業価値担保権は、会社の事業全体の価値に着目した融資を支えるために新設された担保権です。
制度上、担保の対象となるのは、原則として会社の「総財産」です。現在保有している財産だけでなく、将来会社の財産となるものも対象に含まれます。
土地や建物などの不動産だけを担保にするのではなく、会社が事業を継続するために必要な財産を一体として捉える点に特徴があります。
融資の審査では、例えば次のような要素が総合的に検討されます。
- 事業が将来生み出すキャッシュフロー
- 独自の技術やノウハウ
- 特許、商標などの知的財産
- 顧客基盤や継続的な契約関係
- ブランド力や市場での信用
- 人材、組織力、業務運営体制
- 経営者の能力や経営方針
- 事業計画の実現可能性
- 市場環境や競争優位性
ここで注意したいのは、従業員やブランドなどを一つずつ独立した担保として設定する制度ではないという点です。
技術、顧客基盤、人材、ブランドなどは、事業の継続性や将来の収益力を判断する材料として評価されます。その評価を踏まえて、会社の総財産を対象とする企業価値担保権が設定される仕組みです。
従来の融資との違い
従来の融資では、企業の決算内容や返済能力に加え、返済が困難になった場合に処分できる不動産などの担保が重視されてきました。
企業価値担保権を利用する融資では、過去の財務実績だけではなく、将来の事業計画やキャッシュフロー創出力も、これまで以上に重要な判断材料となります。
ただし、決算書や現在の財務状況が見られなくなるわけではありません。
金融機関は、過去と現在の財務情報に加えて、事業の将来性、市場環境、競争力、経営管理体制などを総合的に確認します。したがって、企業価値担保権は「赤字でも事業計画さえあれば借りられる制度」ではありません。
また、企業価値担保権の利用によって、融資額が必ず増えるわけでもありません。融資額や金利、返済期間などの条件は、返済可能性やリスクを踏まえて個別に決まります。
企業価値担保権の法的な仕組み
企業価値担保権は、企業と金融機関が直接、一般的な抵当権と同じように設定するものではありません。
制度上は、企業価値担保権信託会社を受託者とする信託契約を通じて設定されます。企業価値担保権は会社の商業登記簿に登記されます。
この仕組みには、特定の金融機関だけでなく、複数の貸し手が融資に参加する場合にも対応しやすくする目的があります。
企業が返済不能となった場合には、直ちに会社の資産をばらばらに売却することだけを目指すのではなく、可能な限り事業を継続し、その事業価値を維持したまま承継または売却することが想定されています。
制度には、労働者や商取引先などの一般債権者に配慮した手続も設けられています。
ただし、すべての労働債権や商取引債権が無条件かつ全額保護されるという意味ではありません。実際の保護範囲や配当は、法律上の優先順位や個別の手続に左右されます。
個人保証や不動産担保は本当に不要になるのか
企業価値担保権の目的は、不動産担保や経営者保証に「過度に依存しない」融資を促進することです。
したがって、企業価値担保権を設定すれば、すべての案件で不動産担保や個人保証が不要になるわけではありません。
金融機関は、企業の事業内容、財務状況、資金使途、返済計画、既存借入れなどを確認したうえで、必要な融資条件を決定します。案件によっては、別の担保や保証について協議が行われる可能性もあります。
一方、事業の将来性や継続性を十分に説明できる企業にとっては、不動産担保や経営者保証に依存しない資金調達を検討できる余地が広がります。
特に、経営者保証の負担が事業承継や新たな投資の障害となっている企業には、選択肢の一つとなる可能性があります。
どのような企業に活用が期待されるのか
企業価値担保権は、特定の業種だけを対象とした制度ではありません。
対象となるのは、株式会社や合同会社を含む持分会社です。個人事業主は、企業価値担保権を設定する会社には含まれません。
制度の活用が期待される主な場面を見ていきましょう。
1.スタートアップやIT企業
スタートアップやIT企業は、独自技術、ソフトウェア、データ、顧客基盤などを持っていても、担保にできる不動産を十分に保有していないことがあります。
企業価値担保権を利用する融資では、事業計画、収益モデル、市場の成長性、継続課金契約、技術上の優位性などを説明することが重要になります。
ただし、将来性があるという理由だけで融資を受けられるわけではありません。売上予測の根拠、資金使途、資金繰り、経営体制などについて、具体的な説明が必要です。
2.事業承継を控えた企業
親族、従業員、第三者への事業承継では、後継者が経営者保証の引継ぎを負担に感じるケースがあります。
企業価値担保権を利用することで、会社の事業価値や将来キャッシュフローを中心とした融資を検討できれば、経営者個人への保証依存を減らせる可能性があります。
ただし、保証の解除や不要化が自動的に実現するわけではありません。既存融資の保証をどのように取り扱うかについては、金融機関との個別協議が必要です。
3.事業再生に取り組む企業
赤字や債務超過の企業が、法律上、一律に制度の対象外となるわけではありません。
独自技術、安定した顧客、採算性のある中核事業などがあり、実現可能性の高い再生計画を示せる場合には、企業価値担保権を活用した支援が検討される可能性があります。
もっとも、過大な債務、慢性的な資金不足、計画の実現可能性などは厳しく確認されます。企業価値担保権は、業績不振の企業に無条件で追加融資を行うための制度ではありません。
4.M&Aや新規事業を計画する企業
企業買収、新規事業、設備投資など、大きな資金を必要とする場面でも活用が検討されます。
既存事業と買収対象事業との相乗効果や、投資後に見込まれるキャッシュフローについて、合理的な計画を示すことが重要です。
企業価値担保権によって、従来の不動産担保だけでは対応しにくかった資金需要に応えられる可能性はありますが、希望額どおりの融資を保証するものではありません。
5.ブランドや技術を持つ地域企業
老舗旅館、食品メーカー、伝統工芸事業者、地域のサービス企業などは、長年培ったブランド、顧客からの信用、職人の技術、地域との関係といった価値を持っています。
こうした価値を、顧客構成、リピート率、受注実績、利益率、技術承継の仕組みなどの客観的な情報と結び付けて説明できれば、事業性評価の材料になります。
単に「歴史がある」「地域で有名である」と説明するだけではなく、それが今後の収益にどのようにつながるかを示すことが必要です。
制度開始時に公表された事例
東邦銀行と株式会社Kokage
東邦銀行は2026年5月25日、株式会社Kokageに対し、企業価値担保権を活用した同行第1号の融資を実行したと発表しました。
株式会社Kokageは、福島県でクラフトジンの製造・販売事業を展開する企業です。
東邦銀行の公表資料では、同社の蒸留技術、地域資源を活用した商品開発、ブランド力、将来性や成長性などを評価したとされています。
この事例は、保有する不動産だけではなく、技術やブランド、事業の将来性に着目した融資の例といえます。
ただし、個別案件の融資額や審査方法が、そのまま他の企業にも適用されるわけではありません。
西京銀行と中森農産阿東株式会社
西京銀行は同日、中森農産阿東株式会社と企業価値担保権信託契約を締結し、経営面と資金調達面の両方から伴走型支援に取り組むと発表しました。
同行は、中森農産阿東の有機米生産における競争優位性、AIを活用した生産・管理手法、事業モデルの持続可能性などを評価しています。
一方、公表資料では、具体的な融資実行額や融資実行時期は示されていません。そのため、この事例については「企業価値担保権を活用した成長支援の取組み」と表現するのが正確です。
利用前に知っておきたい注意点
企業価値担保権には資金調達の可能性を広げる側面がありますが、利用企業にとって一定の制約や負担もあります。
1.会社の総財産が担保対象になる
企業価値担保権は、特定の設備や不動産だけでなく、原則として会社の総財産に効力が及びます。
事業者は通常の営業活動を継続できますが、事業譲渡など、当初の事業計画の前提を超える重要な財産処分を行う場合には、企業価値担保権者との事前のコミュニケーションや同意が必要になることがあります。
経営の自由がすべて失われるわけではありませんが、重要な経営判断について金融機関との協議が増える可能性があります。
2.継続的な情報提供が必要になる
金融機関は企業の将来性を継続的に確認するため、利用企業には定期的な情報提供が求められると考えられます。
月次試算表、資金繰り表、受注状況、事業計画の進捗、重要な経営上の変化などを、適時に共有できる体制が必要です。
制度上、すべての企業に「翌月中の月次決算」が義務付けられているわけではありません。しかし、迅速で正確な財務情報を提供できることは、金融機関との信頼関係を築くうえで重要です。
3.既存借入れとの調整が必要になる場合がある
既存の不動産担保、動産担保、債権譲渡担保などがある場合には、企業価値担保権との優先関係や融資条件を整理する必要があります。
案件によっては、既存借入れの借換えや、複数の金融機関との調整が必要になる可能性があります。
既存融資に企業価値担保権を単純に追加すればよいとは限らないため、早い段階で金融機関に相談することが大切です。
4.すべての金融機関が同じように対応するとは限らない
企業価値担保権は、信託契約を通じて設定する専門的な仕組みです。
制度開始直後は、取扱いの有無、対象企業、審査方法、必要書類などが金融機関によって異なる可能性があります。
まずは取引金融機関に対し、企業価値担保権を利用した融資を取り扱っているか、どのような企業を対象としているかを確認する必要があります。
利用に向けて準備したい4つのこと
1.自社の強みを具体的に説明する
「技術力がある」「顧客から信頼されている」といった抽象的な説明だけでは、金融機関が事業価値を判断することは困難です。
例えば、次のような形で整理しましょう。
- どの顧客の、どのような課題を解決しているか
- 競合他社との違いは何か
- 顧客が自社を選ぶ理由は何か
- 顧客の継続率やリピート率はどの程度か
- 技術やノウハウが売上や利益にどう結び付いているか
- 特定の取引先や経営者に依存しすぎていないか
- 技術や顧客関係を次世代に引き継げる体制があるか
自社の強みを、客観的なデータとともに説明できるようにすることが重要です。
2.根拠のある事業計画を作成する
事業計画では、売上や利益の目標だけでなく、その数字を達成する根拠を示す必要があります。
今後の市場動向、顧客数、単価、受注確度、原価、人件費、設備投資、借入金の返済などを反映した計画を作成しましょう。
標準的な見通しだけでなく、売上が計画を下回った場合などの慎重なシナリオを用意することも有効です。
計画期間は一律に決まっていませんが、中期的な収益力と返済可能性を確認できる内容が求められます。
3.財務・管理体制を整える
将来性を評価してもらうためには、現在の経営状況を正確に把握できていることが前提です。
月次試算表、部門別採算、資金繰り表、受注残、主要顧客別の売上などを継続的に確認できる体制を整えましょう。
計画と実績に差が生じた場合に、その理由を説明し、改善策を実行できる管理体制も重要です。
4.金融機関と継続的に対話する
企業価値担保権を活用する融資では、事業者と金融機関の信頼関係やコミュニケーションが重視されています。
資金が不足してから初めて相談するのではなく、日頃から事業内容、経営課題、投資計画、業績の変化などを共有しておくことが望まれます。
ただし、長年の取引実績がなければ制度を利用できないという意味ではありません。新たに相談する場合でも、自社の状況を正確かつ誠実に説明することが出発点になります。
企業価値担保権を検討するときの相談先
利用を検討する場合は、まず取引金融機関に相談し、次の点を確認しましょう。
- 企業価値担保権を利用した融資を取り扱っているか
- 自社が対象となり得るか
- 必要となる資料や事業計画は何か
- 既存借入れや既存担保をどう整理するか
- 経営者保証や他の担保が必要になる可能性はあるか
- 継続的にどのような情報提供が必要か
- 手数料や登記などの費用が発生するか
必要に応じて、税理士、公認会計士、弁護士、中小企業診断士などの専門家にも相談するとよいでしょう。
まとめ:企業価値担保権は「新たな選択肢」
企業価値担保権は、不動産担保や経営者保証に過度に依存せず、企業の事業内容や将来性に着目した融資を後押しする制度です。
技術、ノウハウ、顧客基盤、ブランド、組織力などを持ちながら、担保となる不動産が少ない企業にとっては、資金調達の選択肢が広がる可能性があります。
一方で、企業価値担保権を利用すれば融資が必ず受けられるわけではありません。無担保・無保証や融資額の増加を保証する制度でもありません。
会社の総財産が担保対象となること、重要な財産処分について協議が必要になる場合があること、継続的な情報提供が求められることにも注意が必要です。
企業に求められるのは、目に見えにくい強みを単にアピールすることではありません。
その強みが、どのように顧客価値を生み、競争力につながり、将来の売上・利益・キャッシュフローにつながるのかを、客観的な情報とともに説明することです。
企業価値担保権を検討する第一歩として、自社の強み、顧客、収益構造、将来計画を整理し、取引金融機関と対話を始めてみましょう。
この記事のポイント
- 事業性融資推進法は2026年5月25日に施行された
- 企業価値担保権は、会社の総財産を対象とする新たな担保権
- 不動産担保や経営者保証に過度に依存しない融資を後押しする
- 不動産担保や個人保証が必ず不要になる制度ではない
- 技術、顧客基盤、ブランド、組織力、事業計画などが事業性評価の材料となる
- 対象は株式会社や合同会社などの会社であり、個人事業主は対象外
- スタートアップ、事業承継、事業再生、M&Aなどでの活用が期待される
- 会社の総財産に効力が及ぶことや、継続的な情報提供が必要になる点に注意する
- 利用の可否や融資条件は、金融機関が個別に審査する
※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の融資の実行可能性を保証するものではありません。また、法律、会計、税務その他の専門的な助言を構成するものではありません。
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